大判例

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大阪高等裁判所 昭和48年(う)410号 判決 1974年1月23日

被告人 中井ユキコ

主文

原判決中被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

理由

本件控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事早川勝夫作成の控訴趣意書記載のとおりであつて、これに対する答弁は弁護人和島岩吉、同山元康市、同西中務、同高階叙男共同作成の答弁書、答弁補充書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決は、被告人の捜査段階における供述は、起訴状記載公訴事実にそう詳細かつ具体的なものであり、水門貞貴の検察官に対する供述ともほぼ合致するほか、右供述を裏付けこれを補強するものと解される諸事実も存在するので、被告人の本件公訴事実は証明十分のごとくであるとしながらも、被告人の右捜査段階での供述調書は、被告人の健康がすぐれない状況のもとで連日長時間にわたり取調べられ、被告人と水門貞貴とが共犯関係にあるものとの見込捜査にもとづき、相当強い理詰めの、あるいは誘導的な尋問のもとに作成された疑いがあつてその証明力について慎重な判断を必要とするとしたうえ、大友殺害を教唆する動機にも、現実に発生した本件犯行の偶然性、不安全性に照らして若干の疑問が残り、検察官が被告人の教唆行為と主張するものの多くは間接的、暗示的で、これを個別に検討してみても少なからざる疑問が存し、被告人の教唆行為を断定するに足りず、また、被告人の主張、弁解ならびに事後の特異な行動を不自然、不合理としてすべて排斥しきれないものがあり、これらの点を考慮した結果、被告人には相当な嫌疑があるもなお有罪と断ずるには証明が十分でないとして無罪を言い渡した。

しかしながら、右は、証拠の証明力に対する判断を誤るとともに、採証の法則に違背して証拠を取捨選択した結果、事実を誤認したものであつて、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、到底破棄を免れないものであるというものである。

案ずるに、本件においては、被告人の捜査官調書の証明力が有罪の認定をするに足るものか否かが本件の帰すうを決するものであるから、まずこの点につき検討するに、被告人は、昭和四四年八月一〇日ころから全面的な自白をはじめ、同月一二日付検察官調書によると、その冒頭において、「昨日も検事さんに調べに来て頂いたのですが、昨日は朝から頭が割れるように痛く、微熱もあつて吐気もするので、そのことを言うと早速病院に連れて行つて下さり、注射をうつて貰つてお蔭で本日は気分もよくなりました、検事さんや、刑事さんから昨日のように親切にされると本当に嬉しくてなりません。ですから私のしたこと、思つていたことなどは何でもこれから正直に言いますので、どうか信用して下さい」と述べ、ついでその犯行の動機、水門貞貴との接近状況その他につき具体的詳細な供述記載があり、爾後同月一三日、二二日、二三日の各検察官調書においてもこの立場を維持しさらにより具体的な事実、自己の心情等を縷述していること、当審第一回公判期日において裁判長の被告人に対する質問に対する供述内容からみても、被告人の検察官調書は、任意性につき疑がないばかりでなく、その供述するところは、被告人がありのままにその心情と具体的実情を吐露したものであつて、真実性に富み信憑力があるものというべきである。

そこで、被告人の大友殺害教唆の動機につき検討するに、被告人の昭和四四年八月一〇日付検察官調書および同年七月二〇日付司法警察員調書によると、被告人は、小学校卒業前、母が亡くなり弟、妹の面倒をみながら工員生活をしていたところ、二〇歳の時嫁いで三児を儲けたが、昭和二四年頃離婚し、その後再婚して一女を儲けたものの、これまた離婚し、昭和三二年頃からキヤバレーのホステスをしたり、レストランの雑用等をして働き、その後健康を害して内職などし、昭和四一年本件犯行時の住居に落ちつき翌四二年頃からレストランのパート従業員として稼働中、同年末頃大阪市清掃局勤務の大友と知り合い、昭和四三年四、五月頃から前記自宅で、同人と同棲するにいたり、同人の退職金のうちから一〇〇万円の出資を受けて同年七月一六日スタンド「ゆき」を開店経営するにいたつた。ところが被告人の昭和四四年八月一〇日付検察官調書によると大友は嫉妬心が強く被告人の店での客に対する応待のことで邪推して家に帰つてあたり散らし同年八月頃からは、毎晩店にきては客の前でわざと亭主面をするので、被告人が客商売だからやめてくれと言うと、反対に殴る、蹴るの乱暴を加え、また大友の性行為が異常かつ執拗であるため、健康にすぐれない被告人はこれを苦痛に感じていた。被告人の昭和四四年八月一二日付検察官調書によれば、被告人は、昭和四三年一〇月から一二月はじめまで腸の癒着で入院していた時、訪れて来た大友が被告人が断つたにもかかわらず、無理矢理にベツドの上で性行為をしたため、この大友の思いやりのない仕打に対し同人を心から嫌悪する情がわくにいたつた。退院後においても、まだ身体がしんどくてたまらないときでも、大友は被告人に屡々肉体関係を迫り、仮病をつかつて肉体関係をさせまいとするといつて怒るようなことがあつたので、被告人は思い悩んだあげく、このままだといずれは自分が病気になつて殺されることは目に見えているので、その前に何とかしてこちらから大友を殺してやりたいと思うようになつたこと。被告人の昭和四四年八月二二日付検察官調書、当審第二回公判期日における供述によると、被告人はかねて人の噂でウイスキー、酒の中に目薬を入れてのめば睡眠薬のようになつて死んでしまうということを聞いていたのを思い出し、昭和四四年二月中、自宅で二回にわたりウイスキーをサイダーで割つたハイボールに目薬を入れてこれを大友に飲ませたがいずれも成功しなかつたことを認めることができる。

右認定事実からすると、被告人は大友を極度に嫌悪しつつも薄倖のなかからようやくつかみとつた幸ともいうべきその居宅とスタンド「ゆき」を失いたくない執着心と、後記のごとく、水門を真剣に愛し同人との同棲を切望していたので、大友との内縁関係を清算し離別するためには、同人との平穏な話合によることが期待できない以上、何らかの方法で二人の仲の邪魔な存在となつている同人を殺害するほかないと一途に思いつめるに至つたものと認められ、大友殺害の動機としてごく自然で合理性もありこれを疑問視する余地はない。

つぎに本件殺人教唆に至る経緯、教唆の方法につき検討するに、原審証人水門貞貴の供述(一四回公判)によれば、同人は昭和四四年二月頃から被告人の経営するスタンド「ゆき」に出入するようになつたものであるところ、当審証人水門貞貴の当審公判廷における供述、被告人の昭和四八年八月一二日付検察官調書によると、被告人が水門に強い関心を寄せ、交際を深めるようになつたのは、水門が自分には前科がある、人を殺して七年間つとめてきたと普通の人ならかくす素性その他をすすんで打明けたり、被告人がしんどそうにしていると無理したらいかんぜと屡々優しい言葉をかけてくれたりしたことによるのであるが、水門の昭和四四年七月三〇日付検察官調書、被告人の前記八月一二日付および同月一二日付検察官調書および右両名の当公判廷における各供述等によると、被告人はその後急速に水門に接近し、身上話をするようになり、同年四月頃には、大友のことを「金を借りているおやじが家に入り込んでしもうて同じ屋根の下に二階と一階とに別れて住んでいるんや。せつかく稼いでもこのおやじがみなとつてしまう。くそつたれおやじの奴、酔払つて殴つたり蹴つたり乱暴する。……金を返しても別れてはくれんやろ。死ぬまで離れんとまでいうとるんやから」などと虚実おりまぜて話し、水門の同情を求め、同年五月一〇日頃水門がリクリエーシヨン旅行に出かけるにあたり被告人が編んだ腹巻のほかジヤンパー、シヤツ、靴下、現金二、〇〇〇円をプレゼントし、これにそえ、「あなたに会いたくて会いたくてたまらない。一緒に死にたいくらい好きだ」との手紙を書き送り、水門をして、まるで天にも昇るような気持にさせるにいたつた。水門は、その直後の五月一三日被告人が「ゆき」を開店するため借金した一〇〇万円のために日夜苦悩していることを聞き、その返済金を作ろうとして窃盗未遂事件を起すにいたつたが、これを契機に、被告人は水門が自分に心から打ち込んでくれており、自分の為に泥棒までしようとしたので、この頃から被告人の手ではとても大友を殺すようなことは恐ろしくてできないため、水門にたのんでみようという気になつた。被告人の昭和四四年八月一三日付、同月二二日付および同月二三日付水門貞貴の同年七月三〇日付各検察官調書によると、同年六月初旬呉市の妹宅へ赴いた被告人はその頃水門に対し手紙二通(当庁昭和四八年(押)第一五七号の6)を送つたが、そのうち普通便一通には「おつさんをできることなら自分の手でも殺したい。しかし、そんなおそろしいことは自分はようせん。誰かおつさんを消してくれる人でもおらんやろうか、映画でもみるように金でも出して殺し屋でも雇えればええのに、こんなにいじめられ、いじめられていると最後は殺されそうだ、そんなことを思うと死んだ方がと思うし……」と、速達便には「どんなにしたら幸せになれるだろう、私には邪魔者がいるから一生幸にはなれんのだろうか」という文面があり、この部分は切断破棄せられているが、これを切り捨てた水門は、その手紙には「おつさんが邪魔だから殺してやりたいという意味のことが書いてあつたので、これを警察がみれば被告人が大友を殺したように当然疑うと思つたのでこれらを切り捨てた」旨述べ、被告人も、この手紙を水門に出したのは、水門が大友を殺してくれないだろうかと思つたからであつて、水門が人に頼むなり、自分で直接するなり、とにかく後で判らんように巧く消してくれればよいと考えたからであつて、事件後、水門が病院に見舞に来てくれた時、この手紙を処分してくれと頼んでおいた旨述べていること、被告人は、六月一四日帰阪したが迎えに来た水門と大阪市内のホテルに三泊し、肉体関係を結ぶにいたつたが、その際被告人と結婚したいと熱望していた水門に対し「おやじが居るから自由にならんのや、おやじは死ぬ迄別れんというとるのや。またどんなことをするか判らん、それが怖しいので別れ話もよう出さんのや。簡単に話がつくような相手やないのや」などといつて大友の邪魔物としての存在を強調し、遂に二人で大友の殺害の方法を真剣に検討、話し合うに至つたが、その際、被告人自身、水門に対し「おつさんは足が悪いので、ふらふら歩いとるから後から石か何かで頭を殴りつけてやつたらよい。またおつさんの会社に電話して帰りを待ち伏せてやつてもよい。しかし、私のおらん所でやつて欲しい」などと述べていること、被告人は、その直後の同月二〇日頃、水門に対し大友を消してもらうについて大友の顔や勤務先等を知つてもらつておいた方がよいと思い、同人の全身、および上半身の写真、名刺一枚のほか自宅付近の町内地図一枚を渡し、同月二九日の犯行直前、被告人は大友殺害を決意し、その実行に赴いた水門と自宅近くの本件犯行現場付近で前後二回も出合つており、その際の水門の言動から同人が

殺害の挙に出ることを察知しながら、敢えて同人に対し折柄通行中の大友の後姿を指差してその所在を教示したことが認められる。

右認定事実によると、被告人の本件教唆の方法は、暗示的にして迂回的な点もあるが、以上指摘した各事実を総合的、全体的に考察すれば、被告人は水門が被告人のためには一身を犠牲にしてはばからない恋情に燃え、自己もまた同人と世帯をもち一緒に暮したいと思つていたので、同人に対し、詐言、甘言、媚態、肉体関係など多様な方法を用いて大友殺害の決意を徐々に醸成させ同人をして大友を殺害するにいたらしめたものであつて、殺人の具体的教唆行為として不自然、不合理として疑わしいところはない。

以上の次第であるから、本件公訴事実につき犯罪の証明不十分として被告人を無罪とした原判決は証拠の取捨選択、証拠の証明力に対する判断を誤り、事実を誤認し、この誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならない。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条一項三八二条により原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決する。

(罪となるべき事実)

昭和四四年八月二五日付起訴状記載の公訴事実のとおりであるから、これを引用する。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法六一条一項、一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を懲役三年に処することとし、原審および当審の訴訟費用につき刑事訴訟法一八一条一項但書を適用する。

よつて主文のとおり判決する。

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